
バブルが終わりを告げた1990年代に、それこそハッテン場は雨後の竹の子のように次々と現れ、全盛期を迎えた。2000年代にはハッテン場はバブル状態となり、デストラ・タフ事件の直前まで続いた。ハッテン場の数が増えたからと言って、ゲイの数が増えたわけではない。事件が起こらなくとも自然淘汰される運命にあった。ただ、デストラ・タフ事件というのは、この過当競争と関連がないわけではない。集客のため、それぞれのハッテン場はしのぎを削り、イベントを凝らしてよりコアに過激になっていき、暴走した。快楽をセックスだけではなく、クスリに求めた。ハッテン場は淫乱を煽った。いろいろな相手と何度も何度も繰り返して盛り上がり、セックスを朝まで続ける。やがて警察の手が入り、ゲイはハッテン場通いを自粛し、新宿二丁目自体がハッテン場だった時代は終焉を迎えた。今残っている老舗ハッテン場は、その過当競争、そしてその後の冬の時代を生き残ったハッテン場でもある。
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