
しかし、最初からグローリーホールがコンセプトというわけではなかった。当初のビデオボックスというのは、それこそ単なる試写室であった。当時のビデオは大変高価であり、それでいて当時の広告は誌面も限られている中、到底中身を想像することは至難の業であり、せいぜいゲイ雑誌の紹介コーナーでライターが書いた感想を読んで、またパッケージを手に取って、出演者の姿態から想像する他になかった。それが販売店に行けば試しに見ることができるのだが、そこから個室でビデオ上映という形になっていった。ゲイ専用ビデオボックスであれば、それがハッテン場化するのは時間の問題であったが、そこに著作権問題が引っかかった。営利目的での上映は著作権法に引っかかり、著作権法で摘発される店舗も現れた。ここで、ビデオボックスは洋物の海賊版を上映するという形に転換した。ビデオ販売促進という本来の目的を捨て去り、グローリーホール化に舵を切ったのだった。ビデオボックスのハッテン場化が、今後のハッテン場の爆発的増加の転機となった。
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