
このスカイジムは大変繁盛し、スカイジムの登場によってハッテン場に行くことが若いゲイにとってオシャレであり、ステイタスとなった。ゲイのセックスをカジュアルにし、ハッテン場のハードルを下げ、よりオープンな空間になり、秘密倶楽部的な要素を希薄化させた。次にこの建物の2階に「アクロポリス」(1981)というハッテン場ができる。それ以降、ハッテン場は雨後の竹の子のように新宿二丁目を中心に増えていく。新宿二丁目が不夜城として華やいだ頃、ハッテン場は始発までの時間を「起きて楽しくスポーティに」過ごす場所であった。クルージングをして、入れ替わり立ち替わりいろいろな人と出会い、それこそめくるめく忙しなくハッテンする。こうした一巡する形のハッテン場というのは日本ではすっかり見なくなり、韓国や台湾のハッテン場にその名残が見られる。通路は概して見通しが良く、内側か外側のいずれかに、規則正しく同じ大きさの個室が設置されている。通路は広々としていて明るい。画一的で没個性であり、オープンな空間は、集団生活、大部屋生活をしていた時代の遺物だ。画一的で没個性的な前時代のハッテン場では、工夫を凝らすのは自分自身であった。今のハッテン場は、それこそ店が工夫を凝らしてくれている。人は店のお膳立てに乗って、工夫をしたつもりになっている。スカイジムがあった頃は、まだ工夫にバリエーションがなかった。
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