
新宿二丁目の成立については簡単に述べたが、ゲイバーはバブル経済の隆盛とともに雨後の竹の子ののように増えていった。浅草、上野、新橋と言った歓楽街にもゲイバーはあるが、新宿二丁目はゲイに特化された街として排他性を帯びた。クローゼットのゲイバーは競争が激しくなるにつれ、客層を選ぶようになった。例えばターゲットを太めに絞るとか、若い人だけ、外国人だけ、中高年男性だけといったように。もちろん来る客拒まずではあろうが、ゲイバーのそれぞれが専門性を帯びていく。そして、その系譜はハッテン場に継承される。まずは立地によってある程度の色づけがなされる。開放的な新宿二丁目はオールラウンドとは言え次第に若い世代へとシフトし、ゲイ以外には閉鎖的な浅草はゲイが迫害されていた頃を知る年代に固定され、新橋は立地からサラリーマンに特化していくなど、ハッテン場も街に合わせてその客層を包み込んでいった。
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