
ウリ専ではなく、あくまでセックスの相手を探す性的空間としてのゲイバー、これは1980年代あたりまでのゲイバーはそうした役割を果たしていた。「二丁目という世界は「迷路」だった。」「グルグルと巡る路地、そこで出会う人々との関係、一つ一つを楽しむことだけが、彼の生きていた時間」(Yamashita/Kodama,1994,p31)という表現が示すとおり、ゲイバーを梯子して相手を探す、新宿二丁目全体が大きなくくりのハッテン場として機能していた。しかし、友達や恋人を探すということであれば、コミュニケーションが重要視されるが、簡単にヤレる一夜限りの割り切った関係を求めるのであれば、会話等は最小限で済ませたい。ただ、一夜限りでも性格や雰囲気に重きを置く人もいるだろう。ゲイバーがこうした人たちの要求を幅広く満たしていた。ただ、ゲイバーは知らない人同士が隣り合って、意気投合したとしてもボディタッチをするのはかなり時間の経過が必要だ。その中で、ボディタッチどころか、店内でのハッテン行為までも容認する、パニックバーのような形態のゲイバーが現れた。摘発事件後は息をひそめていたが、最近は飲み系のハッテン場という形で復活した。ここでは、ボディタッチどころか、当初から衣服さえも脱いでいるのである。これはワンドリンクを導入として用いることで気分を和らげて、お互いの警戒心を取り除いてからセックスに移行する、ゲイバーとハッテン場が合わさった形態ではあるが、行為そのものよりもハッテンの過程を重視したところが当時の面影を残している部分といえる。
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