
「普通人の正常な」性的羞恥心というのも引っかかるところではなかろうか。例えば、性的画像を見せて、この画像で興奮した人が過半数を超えたとか言った科学的根拠に基づくのだろうか。実際に心理学者が性的興奮度を測って証拠提出したが、採用されなかった。ここでいうわいせつというのは法概念である。道徳ではない。例えば、歩いている人を見て、あの男のチンコが欲しいと思ったら、道徳上は罪だが法には違背していない。しかし、道徳を法に持ち込んでしまっている感じがしないでもない。もっというと、裁判官がわいせつだと判断すればわいせつだ。ここでいう「普通人」というのは一般人ではなく裁判官である。しかし、それでは実際取り締まる警察官が困ってしまう。「普通人」である警察官が裁判官のクローン人間だったら問題ないだろうが、わいせつの概念は一様ではなく、そうすると厳しくなりがちだ。なので、性器が出ていたらダメ、モザイクで隠せば問題ないという、分かりやすい基準が登場した。性的羞恥心を害するとは、性器を見せることである。よく知らないが、普通は、性器を「見られた」側が恥ずかしいんじゃないかと思うが。チンコを覗き見するチカンの場合だったら、見られた側が性的羞恥心を普通は感じるのだろう。見られて恥ずかしいってなって興奮する人は、見る側見られた側、ともに性的羞恥心を感じることになるけれど、そういう場合はどうしたらいいのだろうか?
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