
「美」が欠け落ちた理由、これは何も知らない若者を守るといった教育的配慮ではない。性教育はこういう性の形態があるという紹介で会って、君はゲイだ、君はバイだといった分別を教えない。美を遠ざけたのは、美しさを鼻にかけて、ツンと澄まして高飛車な男、自己中心的でナルシストな男はいらないというメッセージだ。女っぽい男、室町・江戸自体あたりの将軍が寵愛した小姓、商人のパトロンとしての歌舞伎役者、陰間茶屋、そこに登場するのは決まって美少年。大人になりきらない不完全な男として、女役をさせられる。美少年好きはゲイではないのか。男しかいない環境で、抵抗しない受動的な存在である女役を強いられたのか。美少年にはそんなゲイからの強烈なアンチテーゼを感じる。その反動で、オヤジがいい、ガッチリという名のデブがいいと刷り込んでいった。極限の筋肉、ボディビルダーのような不自然なカラダがもてはやされ、大きい=良いという短絡的で単線的思考が刷り込まれる。男を選ぶゲイはいらない、男なら誰でもいいというゲイが欲しい。女の代替ではなく、男の中の男がゲイなんだと。
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