
ゲイ一般の「男」像とハッテン場の「男」像がズレていることが、ここまでくるとうすうす感づいてきたのではないか。ハッテン場が求めているのはということであって、ゲイ一般ではそんなことはない。そもそも、ハッテン場の「男」像が偏っているというのは、一つ抜け落ちているからだ。ハッテン場の「男」には少年愛という視点が欠けている。「美男子」「美形」「美少年」「美青年」、ゲイだって好きなのだが、ハッテン場には美男子という視点はない。世界史でゲイが初登場するのはギリシアではないか。古代ギリシアには、古典的ゲイの三要素がある。美・筋肉・軍だ。古代のゲイは、軍という男しかいない環境の中で、男の美しさに惚れて、逞しい筋肉に惚れて、秩序だった序列によって男を教え込まれた。もちろん、「周囲に女がいないので、女性器の代用として肛門を使う。」(鈴木智彦「激ヤバ地帯潜入記」p54)ことで、男しかいない極限状態の中で無理矢理教え込まれたという例も多いだろう。これはゲイではない、環境がそうさせただけだとか、タチはともかくウケは半強制的だったという主張もある。しかし、だからゲイではないとはならないだろう。ゲイというのは覚醒させられることだってある。しかし、あえて隠しているという感じがする。
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