
例えば、昼間の渋谷のハチ公前にブリーフパンツを履いた中肉中背の中年男性が立っていた。何もしていなくても変態として認識されることだろう。これが、腹筋のパキパキに割れたイケメンがトランクス一枚しか履かずに立っていたらどうか。また、新世界の通天閣前だったらどうか。同じ変態とは言いつつも、若干許容されるのではないだろうか。一方で、露出する側から見たら、変態と見られなければ興奮しないだろう。だとしたらハチ公前でブリーフ履いてビール腹を見てもらった方が変態的には望ましい構図だろう。いくら頑張ったとて、見る側にとってはイケメンは何をしてもイケメンだし、変態は何もしなくてもそもそも変態だ。このように、変態というのは見る側、見られる側、相互が変態と認識するからこそ変態なのだ。
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