
いいさそれでも生きてさえいれば
いつか幸せに巡り合える
-杉良太郎「すきま風」(1976.10.1)より抜粋
ハッテン場、ゲイの社交場という表現もあるが、適切ではない。教育格差、住宅格差、職業格差、世間はいろいろな格差で充満した格差社会であるが、ハッテン場も例にもれず、機会平等ではない、格差社会である。このブログを読んでいる皆さんであれば分かると思うけれど、ハッテン場というのは人を傷つけ傷つけられる、戦場だ。ハッテン場で何人ヤッたとか武勇伝を語る人、またハッテン場なんてタイプがいないから行く意味がないと語る人、それぞれが人を傷つけ、傷つけられている。ただ、自分を美化したいから、また傷を隠したいから、様々な理由で書かないだけのことだ。そして、スタッフからも知らず知らずのうちに傷つけられる。入店制限やコンセプトがそれだ。自分は傷つきたくないと思うなら、ハッテン場なんてそもそも行かない方が身のためだ。ゲイビでも見てシコってたらいい。

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好きな男の腕の中でも 違う男の夢を見る
-ジュディ・オング「魅せられて」(1979.2.25)より抜粋
自分はモテるかモテないか、誰しも考えたことがあると思う。ハッテン場に行けばそんなことはすぐ分かる。ハッテン場はモテない奴が行くんだという意見もある。モテる奴は恋人やセフレを囲うからハッテン場に行く必要がないからだと。まあ、言うまでもないが、ハッテン場というのはモテるから行く。モテなければ行かない。モテないなら金の無駄遣いだ。逆に、モテる人は各種割引が使えて、自分の好きな時間にいろんな人ととっかえひっかえヤレて、かなりお得だ。モテる人は途切れることなくモテ続け、モテない人はこれでもかってくらいモテない。で、モテる人というのは数少ない。大半はモテない人で、そういう人は傷ついて帰るか、傷を負った者同士で傷をお互い舐めあうかしかない。ハッテン場というのは、恩恵を得られるのはごく一部だけ、大半のゲイにとっては現実を突きつけられる残酷な場でもある。

堕ちていけ、堕ちていけ
残酷ほど素敵なものはない
堕ちていけ、堕ちていけ
-斉藤レイ「ツエツエ」(2001)より抜粋
ハッテン場で霊を見るなんて話も聞く。ま、当たり前だ。ハッテン場には嫉妬、怨恨、憎悪が怨念怨嗟となって顕在化する。ゲイの人生の辛さ、はかなさ、切なさ、そうしたものを瞬時に思い知らされる。イケメンでガタイのいい奴がモテる、しかし、イケメンでガタイのいい奴が複数いれば、それだけ競争が起きて格差が生まれ、下へ下へと追いやられていく。そして、自分の居場所を失い、自分に合ったハッテン場を探しに行くことになる。ランクダウンしたところが安住の地だったらそれでいいし、そこまで落ちぶれていないと思うなら、恥辱や侮辱を承知で舞い戻る。時には奇跡が起こるかもしれないという一抹の光明を求めて。ハッテン場というのは福祉事業ではない。持たざる者食うべからずの世界、それでいて自分のカラダ以外何も持たない、裸での勝負だ。下に行けば下に行くほど、悲惨であり、生きていくのに必死な世界が広がる。ハッテン場におけるヒエラルヒーとはそれほど厳然と峻別されているものだ。

お前が立たなきゃ始まらない
ああ気合い入れて這い上がれ
己の力で立ち上がれ
-ケツメイシ「上がる」より抜粋
ハッテン場というのは若いというだけでヤレる。それこそコンセプトのないサウナで「若い子なんか来たら大変だよ。たかられる。サウナ出て行くときはフラフラになっているよ。」(平田,p143)というくらいだ。では、年齢と共に落ちる一方なのかといえば、それはまた違う。落ちる速度は人それぞれ。30過ぎてオッサン化している人もいれば、50手前なのに若々しい人だっている。これは努力の賜物であって、怠け者はただ落ちていくだけだ。もちろん、落ちていく力に抗うことはできない。せいぜい遅らせるだけだ。一緒に性欲も減退しているのであればなんら問題はない。勃たないのであれば、何も問題はない。もし抗うのであれば、年齢制限という壁は越えられないが、かろうじてハッテン場で楽しむことはできる。ただ自然の道理として落ちていくに身を任せるのか、それともできるだけ抗って、ハッテン場にしがみつくか。これは自分次第だけれど、努力しなければモテない。じゃなければ、金を払って買うかだ。

あの日、あなたの言葉一つで 強くなれる気がしたよ
「何も変わらないで今のままでいい」と
-ナイトメア「レゾンデートル」(2007.6.6)より抜粋
・コンセプト違いのデブは見るに堪えないし、カラダも顔もチンコも何も価値がない人ってなんでいるの?時間の無駄だと思うんだけど。
・ブサイクが売れない回転寿司のようにグルグル回って、値待ちしたところで誰も相手にしない。隙間からのぞき見して邪魔だし正直ウザい。
・だらしない体型しているくせに、よくマッチョが好きとか若い子が好みとか言えるよな。オッサンのクセに。
と、底辺層に対する風当たりはかなり強い。暗に来るなと言っているようで、ハッテン場でもほぼ相手にされない。なぜいるのか、それは別にその人の勝手だし、経営面で貢献しているし迷惑行為をしていないのであれば、いること自体に問題はない。だいたい、チヤホヤされたりするのもその人たちあってのことなので、完全に排除するという論理には賛成しない。ただ、なぜ底辺層がハッテン場に来るのか、相手をされなくても全然平気なのか、その心理はよく分からない。いたっていい。それだけで存在価値はあるのだ。

いつまで待っても来ぬ人と
死んだ人とは同じこと
-坂本冬美「夜桜お七」(1994.9.7)より抜粋
何も取り柄のない人がなぜハッテン場に来ているのか。差別的なことをいうようだけれど、ヒエラルヒーの話なので、きれい事は抜きにして考えていきたい。一つは成功体験を引きずっているからだろう。いい思いをしたのが忘れられなくて、もしかしたらまたそういうチャンスがあると期待してハッテン場に頻繁に訪れる。格言で「ゲイは捨てるところがない」、ブサイクでもデブでもゲイだったら需要はあるというものがある。まあ、マッチョやイケメンがなぜあんなブスでデブを?見たいなシーンも見かけるから、間違ってはいない。ま、個室の中でどんな扱いを受けているのかは知る由もないが。ハッテン場ではそういうことも起こりうる。ただ、守株待兎という故事を彷彿させる・・取り柄がないのにタイプとヤレるなんてことはそうそうない。

見しおりの 露忘られぬあさがほの 花のさかりはすぎやしぬらん
-紫式部「源氏物語」朝顔巻
時間の無駄かどうかは、これは、何も取り柄のない人というのは時間を無為に過ごしているのだろうから、ハッテン場で誰にも相手にされずに突っ立っていたところでそんなに苦痛には感じないのではないかなと思う。だって、イケメンやマッチョの裸をタダで見られて、ヤッているところだってドアの隙間から覗けば見られるし。あわよくば、複数のその他大勢として参加することだって可能。おこぼれにあずかれることだってあるだろう。なので、端から見ると時間の無駄だと思えるかも知れないけれど、何も取り柄のない人にとっては意外と充実した時間を過ごせていると思っているのだと思う。俺は、ジム行ったり教養を磨いたりとかした方がいいんじゃないかと思うけれど、そんなのその人の勝手なのでね。

あの、えっと、女子アナいきたくて
-「さんまのお笑い向上委員会」フジテレビ系列(2021.8.28)
・すっげえ失礼な断り方をされた。いくらイケメンでもさ、性格悪かったらモテない。
あの、イケメンやマッチョは正直、性格がいい。多少悪くてもイケメンやマッチョのおかげで補正される。ブサイクやデブで性格が良かったら、別にいいことだけれど、ハッテン場で性格って関係ない。恋人探しているんじゃないんだから。もちろん、自己中心的で自分さえ良ければ言いみたいなセックスをする人もいるが、そもそもだけど、イケメンでなければ手を出されないので、性格どうこういう以前の問題だ。それに、大前提として、イケメンやマッチョは人気が高いので、断る権利がある、それ以外は断られても当然だ、それくらいの発想でないとハッテン場なんて行ってられない。気位の高いブスは相手にされない。冷たい断られ方は、それはそれで親切だ。変に気を持たせた断られ方をして、ますます想いを募らせてしまうより、冷たくあしらわれて、こっちから願い下げだと憎まれ口を叩くくらいの方が、かえって未練もなくていいのかもしれない。

花も嵐も踏み越えて
行くが男の生きる道
-霧島昇「旅の夜風」(1938.9.10)より抜粋
ずっと目をつけていた奴とイチャイチャしていたけれど横から割り込まれてかっさらわれたり、個室に後から入ったら君はいいからと追い出されたり、複数で盛り上がっているところに参加しようとしたら拒否られたり、NO!!を突き付けられることも底辺層のあるあるだ。片っ端から目の前の男に手を出して、思いっきり睨まれて、強く手を払われる。トラウマになったりしないのだろうか、カウンセリングでも行かないと立ち直れないのではないかと思うのは下種の勘繰りで、何事もなかったかのように、次の男に手を出している。底辺層は、それくらい図太く無神経でないとハッテン場ではやっていけない。傷ついていられない。下手な鉄砲数撃ちゃ当たるの精神で、どんどん前に進まなければ男にありつけない。

底辺を這う日もやがてはラララ ありふれた思い出となれ
光の届かぬこの深みから 今日も舞い上がる夢を見る
-ABC友の会「底辺を這う」(2016)より抜粋
コンセプトなしのハッテン場、底辺層でも遠慮なく行ける。ハッテン場も様々で、あぶれたゲイの受け皿もちゃんとある。中年熟年ばっかりのハッテン場、老人しかいないハッテン場、デブ中心のハッテン場、少なくとも東京や大阪にはそうしたハッテン場が存在する。全てのとは言わないまでも、たいていのゲイは、こだわらなければハッテン場に入ることはできる。誰専であれば、それなりに楽しむこともできるだろう。が、それでヒエラルヒーがなくなるわけではない。そこがゲイの楽園を意味しない。底辺層が集まれば、その中でのヒエラルヒーができあがるので、優位に立つことだって可能である。また、底辺の中の底辺に甘んじることだってある。ただ、誰専だったら、底辺×底辺でも全く問題はないんだろう。人にどう思われようが、我が道を行けばいい。