
H(エッチ)、今ではセックスのことを言うのだが、昔は変態の頭文字、性的にいやらしいことを言っていた。逆に変態、異常性欲のことを指していたので、昔はゲイの行為一般が変態だった。要するに、ノーマルから見たアブノーマルな行為が変態。しかし、変態とは何だろうか。日常と非日常があるように、またハレとケがあるように、非日常的空間というのは日常的空間がなければなりたたない。例えば、一般生活においてゲイは見た目で判断するのは難しく、ましてウケかタチかなどと立ち入ったことがわかるまでにはかなりの時間を必要とする。その対極にあるのが全員ゲイで即ヤリできるハッテン場で、非日常的空間ともいえるのだが、じゃあハッテン場の中はどうなのだろうか。今回はこのハッテン場の中の非日常を探っていきたい。

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例えば、昼間の渋谷のハチ公前にブリーフパンツを履いた中肉中背の中年男性が立っていた。何もしていなくても変態として認識されることだろう。これが、腹筋のパキパキに割れたイケメンがトランクス一枚しか履かずに立っていたらどうか。また、新世界の通天閣前だったらどうか。同じ変態とは言いつつも、若干許容されるのではないだろうか。一方で、露出する側から見たら、変態と見られなければ興奮しないだろう。だとしたらハチ公前でブリーフ履いてビール腹を見てもらった方が変態的には望ましい構図だろう。いくら頑張ったとて、見る側にとってはイケメンは何をしてもイケメンだし、変態は何もしなくてもそもそも変態だ。このように、変態というのは見る側、見られる側、相互が変態と認識するからこそ変態なのだ。

渋谷ハチ公前でブリーフ姿を見てもらおうと意気込んで行ったところ、他にも似たようなのが10人くらいいたらどうだろうか。周りも何かの撮影かイベントかと思って違和感を感じないだろうし、来た側も今日は止めておこうと思うだろう。変態というのは孤高の存在であり、だから変態同好会は変態の様子がかなり薄まった存在である。皆変態では意味がない。で、ハッテン場ではどうだろうか。アンダーウェアデーだったら皆それを履いてウロウロしている。ハッテン場ではこんなことは当たり前で変態とはならない。アンダーウェアデーで、スケスケのセクシー下着をつけていたらどうだろうか。やっぱり変態なんじゃないだろうか。では、セクシー下着OKの日にセクシー下着だったら?もちろん大体の人はアンダーウェアを選択するので目立つだろうが、許可はされているのだから変態とは言い切れない。この辺がボーダーなのではないか。

皆が同じことをしていたら変態ではないというのは、普段身に着けているもののことを言うのであって、普段身に着けないスケスケ下着やケツ割れ、目出し帽とかを身に着けていれば皆変態になる。自分自身も変態だと思っているし、周りを見ても変態ばっかりだということだ。これは、普段だったらつけないけれども、皆がつけるからつけてみようといった、赤信号みんなで渡れば怖くない的な集団真理だ。ただ、最初に戻るが、全員が変態ということがありうるだろうか?全員異常ということが。全員異常だったらそれは正常だ。多数派が異常ということはない。なので、変態と思っているだけで変態ではない。疑似変態、変態行為をしていると思い込んでいるだけで、変態でも何でもない。スケスケ下着の日にトランクス履いてきたら、そっちが奇異な目で見られる。全裸の日に服を着る勇気があるだろうか?変態というのはそういうことだ。なので、スケスケ下着デーでスケスケ下着をつけることは変態ではない。スケスケ下着デーに行く行為が変態だけれども。

ということは、変態が映える日というのはいつか。まず考えられるのはフリースタイルデーだ。こういう日は皆怖じ気づいて、大抵はアンダーウェアでお茶を濁す輩が多い。だったら手隠しだけでも変態になれる。ただ、この日が皆思い思いの格好をする。いろいろな格好をされてしまうと、バラエティ溢れた変態が登場し、ばらけて印象が薄れてしまう。とすれば、アンダーウェアor手隠しデーといった二者択一の日で、その日のマイノリティーになるといい。しかし、それでもマイノリティーは複数いるだろう。なので、タイトル通り、ボーダーラインを責めるしかない。アンダーウェアデーが一番エロい。指定されたスケスケ下着やケツ割れ、目出し帽を被ったり履いたりするのではなく、自分自身が選ぶアンダーウェアに変態は勝負を賭けるべきだろう。どんなアンダーウェアが一番変態なんだろうか。モッコリを強調するか、半ケツを見せるか、ギャランドゥを惜しげもなく晒すか、・・。変態たちよ、アンダーウェアデーでギリギリを攻め合おう。か、思い切ってケツ割れを履いて、放置プレイというのも乙なものだ。