ハッテン場の歴史、簡単な通史はいろいろな人が既に書かれているし、俺が書いたところで、ほかの人の書いたものをなぞったものになってしまうだけなので、ここでは触れない。単なるまとめサイトみたいなことはしたくない。ただ、いろいろ調べてみると、やはりノスタルジーというか、昔はよかったみたいなことをふと思うことがある。ハッテン場は既に何度も危機を乗り越えてきた。コロナに限らず、HIVやホモフォビア、薬物などハッテン場が消えてもおかしくない出来事がこの短期間にいろいろ起こってきたのだ。このブログでさえもいつ消えるかわからない儚いものだが、海外どころか地方や都会への移動すら容易にできなくなった現在では、このブログが郷愁を誘っているかもしれない。そんなこんなを考えて、ここではいろいろな側面から掘り下げたハッテン場の歴史を書いていきたい。このことで、眠っていた昔の記憶を呼び起こして、郷愁に浸れたら幸いだと思う。
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ゲイの社交場であるハッテン場、歴史を語る前に、ゲイの扱いが今とは異なることを触れなければならない。ゲイは今も昔も存在したが、つい最近まで、ホモと呼ばれ、ゲイは病気であり、異常性欲であり、国によっては犯罪者という位置づけであった。また、今でこそバブルを経て経済大国として君臨しているが、日本は敗戦国で極度の貧困を経験してから復興、そして高度成長を遂げたのである。ここで扱う有料ハッテン場は、貧困と娯楽、便所、夜の街、秘密厳守からそれぞれ産声を上げ、凄まじいゲイバッシングの中を生き抜いて、現在に至っている。もちろん、ハッテン場というのはどれもが自然発生したわけではないのだが、ここでは無料ハッテン場との接点と融合、そして発展を軸にして、「名残」から歴史を紐解いていく。まず、ハッテン場というのは混沌から発生するが、それには条件がある。男しかいないという空間である。男100%という条件を満たした空間は、様々な要因によって徐々にハッテン場化していく。ハッテン場化、その過程はゲイの排他的・独占的使用である。ゲイ100%の空間になって、ハッテン場化は完成を見る。

ハッテン場というのは自然発生的である。混沌から産まれるのだが、まずは出会う場所、気づきから始まる。ゲイ同士の接点が産まれ、噂が噂を呼んでゲイが集まることでハッテン場というものが産まれるのだが、発展にあたっては排除の論理が働く。ここで、ゲイを排除するのか、逆にゲイ専用にするのかという二者択一を迫られる。この過程にあるのがハッテン銭湯、ハッテンサウナと呼ばれるものである。銭湯、サウナ共に当たり前だが男女混浴ではない。男だけの空間はハッテン場に移行すると言うことを書いたが、ハッテンというのは堂々とするものではなく、秘められたものである。また、中心部にある最先端なところよりも、外縁部の鄙びた、年季の入ったところがハッテン場として取捨選択されていく。たいていのハッテン銭湯、ハッテンサウナはゲイ排除の方向である。これは経営上当然であって、ゲイの比率が増えればノンケの安全は保証できない。なぜなら、ゲイのハッテン場だというように認識されれば、ノンケは少数派になり、異様な雰囲気を察したノンケは寄り付かなくなる。ただ、ゲイは男の絶対数が少なければ行かない。目の保養も兼ねているからだ。ハッテン銭湯、ハッテンサウナはまだ進化の途中の形態を見ているに過ぎない。

地方のハッテン場で、襖を開けると部屋いっぱいにぎっしりと布団が複数敷いてあるのを見たことがないだろうか。貴重品はロッカーに預けて専用の浴衣に着替えて、休憩室でテレビを見ながら缶ビールを飲んで、その中で大体目星を付けて、寝ている中から相手をにモーションをかける。安旅館というのは鍵などかかっていない。ドーベルマンのように、100円程度とそう安くはないお金を入れて(しかも返還されない)荷物を預けるコインロッカーのところがあるが、これはその名残であり、昔は貴重品はロッカーに預けていたし、携帯電話などないので頻繁に開け閉めするようなこともなかった。また、個室というのは後の時代になってからで、昔は複数で利用するのが当たり前であった。これは、昔の連れ込み旅館や淫乱旅館の系譜である。

昔の安旅館というのは、今でいうドミトリー、相部屋であって、今のカプセルホテルがほぼ男性専用であるのと同じで、肉体労働者が使うような安い旅館は、男がただ素泊まりで雑魚寝をする木賃宿であった。なので昼間は閑散としているが、当初はその時間を利用して、待ち合わせや休憩という名の下でセックスをする、連れ込み旅館に変わっていった。また、そうした安旅館がハッテン場化し、そういうところでは大浴場のような明るいところである程度相手の様子を窺って、それこそアイコンタクトで布団に潜り込んだところを探り探り行為に及んでいくようなことも行われていた。1970年代に入ると「男性同士の憩いの場」という、男性のみが利用できる連れ込み旅館が登場する。しかし、この時点では、建前では出会いの場としての機能があったわけではなかった。ただ、事実上、ここはハッテン場だと宣言しているようなものであった。

1970年代後半に入ると、そうした連れ込み旅館でも「お一人様でも気軽にどうぞ」といった広告が出るようになる。「連れ込み」旅館が「お一人様」はおかしいだろう。言外に、「一人で来ても相手が見つかりますよ」といったメッセージ性を読み取ることができる。そこから、雑魚寝が基本であるが、オプションで個室を利用でき、利用者は連れ込む相手がいなくとも、そこに入ってそこにいる人たちの中から相手を探してハッテン行為ができる、いわゆる淫乱旅館が登場する。この「雑魚寝」がミックスルームと呼ばれるようになるのもこの頃だ。ミックスルームは今でも大体のハッテン場に現存するが、せいぜい3,4人が寝たらいっぱいになってしまうようなスペースでしかない。当初はミックスルームの方が当然広かった。浴衣を着て雑魚寝して、気に入った人が入れば隣の蒲団に寝て、にじり寄っていって手を伸ばしてちょっかいを出し、股間をまさぐったりしてハッテンしていく。もちろんタチかウケか何てものは分からない。もちろん、「休息」が基本なのだが、ミックスルームという名の通り、休息とは真逆のことが行われるようになり、ゲイ専用淫乱旅館は男臭さを増していく。こうした淫乱旅館の名残は、広島とか神戸とか、地方のハッテン場で今尚見ることができる。ハッテン行為の黙認が奨励に変わるとクルージングスペース、今で言うハッテン場となる。