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男が欲しくて三千里~男日照りでカラッカラさ!!

発展場の様子や雰囲気、出来事を思いつくままに書いていきます。

 

ハッテン場史(0)

ハッテン場の歴史、簡単な通史はいろいろな人が既に書かれているし、俺が書いたところで、ほかの人の書いたものをなぞったものになってしまうだけなので、ここでは触れない。単なるまとめサイトみたいなことはしたくない。ただ、いろいろ調べてみると、やはりノスタルジーというか、昔はよかったみたいなことをふと思うことがある。ハッテン場は既に何度も危機を乗り越えてきた。コロナに限らず、HIVやホモフォビア、薬物などハッテン場が消えてもおかしくない出来事がこの短期間にいろいろ起こってきたのだ。このブログでさえもいつ消えるかわからない儚いものだが、海外どころか地方や都会への移動すら容易にできなくなった現在では、このブログが郷愁を誘っているかもしれない。そんなこんなを考えて、ここではいろいろな側面から掘り下げたハッテン場の歴史を書いていきたい。このことで、眠っていた昔の記憶を呼び起こして、郷愁に浸れたら幸いだと思う。
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名残に想いを馳せて(1)

ハッテン場史_名残_001
ゲイの社交場であるハッテン場、歴史を語る前に、ゲイの扱いが今とは異なることを触れなければならない。ゲイは今も昔も存在したが、つい最近まで、ホモと呼ばれ、ゲイは病気であり、異常性欲であり、国によっては犯罪者という位置づけであった。また、今でこそバブルを経て経済大国として君臨しているが、日本は敗戦国で極度の貧困を経験してから復興、そして高度成長を遂げたのである。ここで扱う有料ハッテン場は、貧困と娯楽、便所、夜の街、秘密厳守からそれぞれ産声を上げ、凄まじいゲイバッシングの中を生き抜いて、現在に至っている。もちろん、ハッテン場というのはどれもが自然発生したわけではないのだが、ここでは無料ハッテン場との接点と融合、そして発展を軸にして、「名残」から歴史を紐解いていく。まず、ハッテン場というのは混沌から発生するが、それには条件がある。男しかいないという空間である。男100%という条件を満たした空間は、様々な要因によって徐々にハッテン場化していく。ハッテン場化、その過程はゲイの排他的・独占的使用である。ゲイ100%の空間になって、ハッテン場化は完成を見る。

 

名残に想いを馳せて(2)

ハッテン場史_名残_002
ハッテン場というのは自然発生的である。混沌から産まれるのだが、まずは出会う場所、気づきから始まる。ゲイ同士の接点が産まれ、噂が噂を呼んでゲイが集まることでハッテン場というものが産まれるのだが、発展にあたっては排除の論理が働く。ここで、ゲイを排除するのか、逆にゲイ専用にするのかという二者択一を迫られる。この過程にあるのがハッテン銭湯、ハッテンサウナと呼ばれるものである。銭湯、サウナ共に当たり前だが男女混浴ではない。男だけの空間はハッテン場に移行すると言うことを書いたが、ハッテンというのは堂々とするものではなく、秘められたものである。また、中心部にある最先端なところよりも、外縁部の鄙びた、年季の入ったところがハッテン場として取捨選択されていく。たいていのハッテン銭湯、ハッテンサウナはゲイ排除の方向である。これは経営上当然であって、ゲイの比率が増えればノンケの安全は保証できない。なぜなら、ゲイのハッテン場だというように認識されれば、ノンケは少数派になり、異様な雰囲気を察したノンケは寄り付かなくなる。ただ、ゲイは男の絶対数が少なければ行かない。目の保養も兼ねているからだ。ハッテン銭湯、ハッテンサウナはまだ進化の途中の形態を見ているに過ぎない。

 

名残に想いを馳せて(3)

ハッテン場史_名残_003
地方のハッテン場で、襖を開けると部屋いっぱいにぎっしりと布団が複数敷いてあるのを見たことがないだろうか。貴重品はロッカーに預けて専用の浴衣に着替えて、休憩室でテレビを見ながら缶ビールを飲んで、その中で大体目星を付けて、寝ている中から相手をにモーションをかける。安旅館というのは鍵などかかっていない。ドーベルマンのように、100円程度とそう安くはないお金を入れて(しかも返還されない)荷物を預けるコインロッカーのところがあるが、これはその名残であり、昔は貴重品はロッカーに預けていたし、携帯電話などないので頻繁に開け閉めするようなこともなかった。また、個室というのは後の時代になってからで、昔は複数で利用するのが当たり前であった。これは、昔の連れ込み旅館や淫乱旅館の系譜である。

 

名残に想いを馳せて(4)

ハッテン場史_名残_004
昔の安旅館というのは、今でいうドミトリー、相部屋であって、今のカプセルホテルがほぼ男性専用であるのと同じで、肉体労働者が使うような安い旅館は、男がただ素泊まりで雑魚寝をする木賃宿であった。なので昼間は閑散としているが、当初はその時間を利用して、待ち合わせや休憩という名の下でセックスをする、連れ込み旅館に変わっていった。また、そうした安旅館がハッテン場化し、そういうところでは大浴場のような明るいところである程度相手の様子を窺って、それこそアイコンタクトで布団に潜り込んだところを探り探り行為に及んでいくようなことも行われていた。1970年代に入ると「男性同士の憩いの場」という、男性のみが利用できる連れ込み旅館が登場する。しかし、この時点では、建前では出会いの場としての機能があったわけではなかった。ただ、事実上、ここはハッテン場だと宣言しているようなものであった。

 

名残に想いを馳せて(5)

ハッテン場史_名残_005
1970年代後半に入ると、そうした連れ込み旅館でも「お一人様でも気軽にどうぞ」といった広告が出るようになる。「連れ込み」旅館が「お一人様」はおかしいだろう。言外に、「一人で来ても相手が見つかりますよ」といったメッセージ性を読み取ることができる。そこから、雑魚寝が基本であるが、オプションで個室を利用でき、利用者は連れ込む相手がいなくとも、そこに入ってそこにいる人たちの中から相手を探してハッテン行為ができる、いわゆる淫乱旅館が登場する。この「雑魚寝」がミックスルームと呼ばれるようになるのもこの頃だ。ミックスルームは今でも大体のハッテン場に現存するが、せいぜい3,4人が寝たらいっぱいになってしまうようなスペースでしかない。当初はミックスルームの方が当然広かった。浴衣を着て雑魚寝して、気に入った人が入れば隣の蒲団に寝て、にじり寄っていって手を伸ばしてちょっかいを出し、股間をまさぐったりしてハッテンしていく。もちろんタチかウケか何てものは分からない。もちろん、「休息」が基本なのだが、ミックスルームという名の通り、休息とは真逆のことが行われるようになり、ゲイ専用淫乱旅館は男臭さを増していく。こうした淫乱旅館の名残は、広島とか神戸とか、地方のハッテン場で今尚見ることができる。ハッテン行為の黙認が奨励に変わるとクルージングスペース、今で言うハッテン場となる。

 

名残に想いを馳せて(6)

ハッテン場史_名残_006
ハッテン場のことを「ゲイサウナ」という呼び方もする。海外でもハッテン場のことを"gay sauna"や"gay bathhouse"というので、その方が一般的であるが、こと日本ではこれも過去の遺物である。サウナ併設のハッテン場、多くの人は新宿24会館とか北欧館とかを想像すると思うのだが、そういう施設、大吉梅田寮以降は造られていない。名古屋のコロナクラブが長期休業に入って久しい。おそらく、今後は徐々になくなっていくのではないだろうか。というのも、こうした施設は老朽化すればするほど維持費が嵩んでいく。ある程度の時期になれば大規模修繕が必要となる。ゲイサウナ、淫乱旅館の布団がベッドに変わり、風呂がサウナ併設の大浴場に変わり、そしてバーやカラオケ機能までついた、健康ランドのような複合施設なのだが、そうした形態自体が今では過去のものになりつつある。もちろん、これがレトロで味わいがあるという人も一定数はいるだろう。改修だけではなく大幅なリノベーションをしない限り、いつしかそこは老け専サウナと呼ばれるようになるだろう。

 

名残に想いを馳せて(7)

ハッテン場史_名残_007
娯楽というと、一昔前では映画館がその一翼を担っていた。普通の成人映画館であれば、まあ静かに座って観ていなければならないのだろうから、せいぜい自慰行為が関の山だ。成人映画館となると、暗い空間でエロい映画が流れている状況だ。成人映画館と言いつつ、客は男ばっかりであり、次第にゲイの溜まり場となっていき、行為を伴うようになっていったのは自然の流れだろう。ただ、映画館という形自体は変えることができないので、席の形とかスクリーンとか基本的なところは変えることができない。席がガラガラな状態であるのに隣に来て、カラダをちょっと触って合図を送ったりといったやり取りを交わしつつ、いつしか映画そっちのけで行為に移行する。そして、ゲイ専用の映画館、ハッテン映画館が登場する。かなり前から映画館の存在意義は薄れ、成人映画館も廃れていく。自宅でビデオやDVDを観賞できるようになり、今では携帯等で動画をいつでも見ることができる。自宅でこそこそ隠れて見る必要さえなくなり、ゲイ映画が性的興奮の導入的役割を果たさなくなり、ゲイポルノ映画でさえもアマゾンプライムやネットフリックスで容易に見られるようになった現在、ゲイ映画館はもう風前の灯火だ。東京は歌舞伎町にあった新宿ローズがなくなり、大阪にあった老舗、梅田ローズも2011年に閉館、2022年現在は大阪の日劇ローズを筆頭に、横浜、広島、小倉の4つしかない。ゲイポルノ映画というカテゴリー自体、郷愁をそそる。

 

名残に想いを馳せて(8)

ハッテン場史_名残_008
夜の街、歓楽街からハッテン場は自然発生した。新宿二丁目の成り立ちをざっと述べると、関東大震災前後から遊郭の街として発展し、戦後も赤線・青線地域として残ったが、1958年の売春防止法によって売春公認地域としての新宿二丁目は終わりを告げ、この跡地にゲイバーが移ってきたのが、ゲイタウン新宿二丁目の始まりである。ただ、当初はあらゆる性風俗が混在しており、ゲイに特化した街として新宿二丁目がスポットライトを浴びるようになるのは1960年代終わりになってからである。ゲイバーはいろいろあるが、オープンなゲイバーもあればクローズドなゲイバーもある。後者の場合、ゲイだけを対象としたクローズドな空間で、客同士の出会いの場でもあり、そこから一夜限りのセックスの相手を探すことが主目的であるゲイバーも現れた。これは、ゲイバーの店の中では接客をして、交渉次第で外に連れ出してホテル等でセックスをする、典型的な青線の延長的なものであった。そこから、ゲイバーの中に、例えば天井部屋だったり地下室だったりといった、ちょっとした別室を休憩室として提供するところが現れた。当初は仮眠室や倉庫のようなところが、次第に公然と隠し部屋のようなものへと変化していった。そこから紹介斡旋を行うゲイバーが現れた。ワンドリンクを頼んでカウンターの中にズラッと並んでいる男の中から気に入ったのを指名して連れ出すというものであり、最早ゲイバーと言うよりはウリ専に近いものであった。1984年の風営法改正によって深夜営業が禁じられると、こうしたゲイバーはウリ専に特化した形に業態を変えて発展していった。

 

名残に想いを馳せて(9)

ハッテン場史_名残_009
ウリ専ではなく、あくまでセックスの相手を探す性的空間としてのゲイバー、これは1980年代あたりまでのゲイバーはそうした役割を果たしていた。「二丁目という世界は「迷路」だった。」「グルグルと巡る路地、そこで出会う人々との関係、一つ一つを楽しむことだけが、彼の生きていた時間」(Yamashita/Kodama,1994,p31)という表現が示すとおり、ゲイバーを梯子して相手を探す、新宿二丁目全体が大きなくくりのハッテン場として機能していた。しかし、友達や恋人を探すということであれば、コミュニケーションが重要視されるが、簡単にヤレる一夜限りの割り切った関係を求めるのであれば、会話等は最小限で済ませたい。ただ、一夜限りでも性格や雰囲気に重きを置く人もいるだろう。ゲイバーがこうした人たちの要求を幅広く満たしていた。ただ、ゲイバーは知らない人同士が隣り合って、意気投合したとしてもボディタッチをするのはかなり時間の経過が必要だ。その中で、ボディタッチどころか、店内でのハッテン行為までも容認する、パニックバーのような形態のゲイバーが現れた。摘発事件後は息をひそめていたが、最近は飲み系のハッテン場という形で復活した。ここでは、ボディタッチどころか、当初から衣服さえも脱いでいるのである。これはワンドリンクを導入として用いることで気分を和らげて、お互いの警戒心を取り除いてからセックスに移行する、ゲイバーとハッテン場が合わさった形態ではあるが、行為そのものよりもハッテンの過程を重視したところが当時の面影を残している部分といえる。

 

名残に想いを馳せて(10)

ハッテン場史_名残_010
新宿二丁目の成立については簡単に述べたが、ゲイバーはバブル経済の隆盛とともに雨後の竹の子ののように増えていった。浅草、上野、新橋と言った歓楽街にもゲイバーはあるが、新宿二丁目はゲイに特化された街として排他性を帯びた。クローゼットのゲイバーは競争が激しくなるにつれ、客層を選ぶようになった。例えばターゲットを太めに絞るとか、若い人だけ、外国人だけ、中高年男性だけといったように。もちろん来る客拒まずではあろうが、ゲイバーのそれぞれが専門性を帯びていく。そして、その系譜はハッテン場に継承される。まずは立地によってある程度の色づけがなされる。開放的な新宿二丁目はオールラウンドとは言え次第に若い世代へとシフトし、ゲイ以外には閉鎖的な浅草はゲイが迫害されていた頃を知る年代に固定され、新橋は立地からサラリーマンに特化していくなど、ハッテン場も街に合わせてその客層を包み込んでいった。

 

名残に想いを馳せて(11)

ハッテン場史_名残_011
ハッテン行為のことは、英語でクルージング(crusing)という。ゲイがセックスの相手を求めて、ふらふらあてもなくさまようことを指す。日本語の「ハッテン」とは若干意味合いが異なる感じがするが、このクルージング、体現したのがラシントンパレスの屋上にあったスカイジムであった。元々ホテルだった頃は回転するレストランだったのだが、1980年初頭にそこがハッテン場に転化した。その円卓は回らないが、ゲイがクルージングで回遊する構造であり、まさに一巡するのだ。スカイジムは、そういう意味では過渡期のハッテン場である。ただ、重要なのは今までの系譜のハッテン場とは一味違う、画期的なハッテン場であったと言うところだ。端的に言えば、旅人のためのハッテン場ではなく、シティボーイのためのハッテン場、分かりにくいところにあるのではなく、逆に分かりやすいところに「作った」のであった。

 

名残に想いを馳せて(12)

ハッテン場史_名残_012
このスカイジムは大変繁盛し、スカイジムの登場によってハッテン場に行くことが若いゲイにとってオシャレであり、ステイタスとなった。ゲイのセックスをカジュアルにし、ハッテン場のハードルを下げ、よりオープンな空間になり、秘密倶楽部的な要素を希薄化させた。次にこの建物の2階に「アクロポリス」(1981)というハッテン場ができる。それ以降、ハッテン場は雨後の竹の子のように新宿二丁目を中心に増えていく。新宿二丁目が不夜城として華やいだ頃、ハッテン場は始発までの時間を「起きて楽しくスポーティに」過ごす場所であった。クルージングをして、入れ替わり立ち替わりいろいろな人と出会い、それこそめくるめく忙しなくハッテンする。こうした一巡する形のハッテン場というのは日本ではすっかり見なくなり、韓国や台湾のハッテン場にその名残が見られる。通路は概して見通しが良く、内側か外側のいずれかに、規則正しく同じ大きさの個室が設置されている。通路は広々としていて明るい。画一的で没個性であり、オープンな空間は、集団生活、大部屋生活をしていた時代の遺物だ。画一的で没個性的な前時代のハッテン場では、工夫を凝らすのは自分自身であった。今のハッテン場は、それこそ店が工夫を凝らしてくれている。人は店のお膳立てに乗って、工夫をしたつもりになっている。スカイジムがあった頃は、まだ工夫にバリエーションがなかった。

 

名残に想いを馳せて(13)

ハッテン場史_名残_013
便所がハッテン場だったというのは昔の話だ。便所も当然男しか利用しないし、用を足すときにはチャックを開けて露出するし、大便器は個室になっている。手洗い場もあるし、中にはティッシュもあり、簡単な荷物置きもある。簡易的なハッテン場としては上出来だ。ハッテン公園は別としても、利用者の多い鉄道駅やデパートのトイレは、警備の強化や防犯カメラの浸透によって、ハッテン場機能を徐々に失っていった。代わりに、まさしく時間のない人のためのハッテン場、ビデオボックスは公衆便所の趣を感じさせるハッテン場だ。個室を「覗く」といった、秘め事を垣間見ることで興奮していくというスタイルであり、丸見えではなく、あくまでチラ見せ、それも上手い具合に股間附近が見えるような造りになっている。

 

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Author:いち
俺はゲイです。いくつかブログを書いていますが、このブログではハッテン場に特化して書いています。思ったこと、経験したこと、またハッテン場の分析や傾向と対策、経営戦略についていろいろ書いていきます。テーマがテーマなので、内容もそれなりにコアな感じになりますが、それでもよければ見てください。ハッテン場に興味を持っているゲイを対象にしていますので、それ以外の方はご遠慮ください。初めて来た方は、カテゴリを選んで読んでいただくことをお薦めします。

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