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男が欲しくて三千里~男日照りでカラッカラさ!!

発展場の様子や雰囲気、出来事を思いつくままに書いていきます。

 

ポジション(1)


ハッテン場で重要なのは、当然獲物探し。俺はどっちかというと待つタイプ。まあ、一言で待つと言ってもいろいろで、本当に手を出されるのを待つってのもいれば、積極的にガンガン触っていくってのもある。まず、マラサイトを例にすると、俺がよく使うのはコーナー。角が重要なのは、二方向見えるから。マラサイトだとオープンスペースの入口があるからそこを塞がないようにして立つ。ま、ネガティブな待ち方ではあるね。もし、タイプが隣に立ったら、それはチャンス。触りに行く。すれ違ったときもやはり触っておいた方が相手にわかりやすい。触るのがサインなんでね。で、相手が立ち止まったらよく確認。個室に入ってからゆっくり確認したっていいんだけれど、お互い良ければ個室に。あとは・・楽しんで。

 

ポジション(2)


こういうときもあるよ、って話を。まず、狙った獲物を先に捕られてしまうこと。グズグズしているからこうなる、なんてね。ポジションも大事でさ。俺もタチだよ、ハハハハなんてこともよくある。素早く行動、しかしチェックは怠らず。ま、釣りと同じで気長に待つってのも醍醐味だけれど、スカもあるよ。

 

ポジション(3)


なぜに第3話で海外に行っているんだよって話だけれど、こういうのは言葉じゃないんだよってことを書きたくってね。いろいろな経験がいつかは何かの役に立つんで、実践、実践。

 

変態とのボーダーライン(1)

変態との境界域1
H(エッチ)、今ではセックスのことを言うのだが、昔は変態の頭文字、性的にいやらしいことを言っていた。逆に変態、異常性欲のことを指していたので、昔はゲイの行為一般が変態だった。要するに、ノーマルから見たアブノーマルな行為が変態。しかし、変態とは何だろうか。日常と非日常があるように、またハレとケがあるように、非日常的空間というのは日常的空間がなければなりたたない。例えば、一般生活においてゲイは見た目で判断するのは難しく、ましてウケかタチかなどと立ち入ったことがわかるまでにはかなりの時間を必要とする。その対極にあるのが全員ゲイで即ヤリできるハッテン場で、非日常的空間ともいえるのだが、じゃあハッテン場の中はどうなのだろうか。今回はこのハッテン場の中の非日常を探っていきたい。

 

変態とのボーダーライン(2)

変態との境界域2
例えば、昼間の渋谷のハチ公前にブリーフパンツを履いた中肉中背の中年男性が立っていた。何もしていなくても変態として認識されることだろう。これが、腹筋のパキパキに割れたイケメンがトランクス一枚しか履かずに立っていたらどうか。また、新世界の通天閣前だったらどうか。同じ変態とは言いつつも、若干許容されるのではないだろうか。一方で、露出する側から見たら、変態と見られなければ興奮しないだろう。だとしたらハチ公前でブリーフ履いてビール腹を見てもらった方が変態的には望ましい構図だろう。いくら頑張ったとて、見る側にとってはイケメンは何をしてもイケメンだし、変態は何もしなくてもそもそも変態だ。このように、変態というのは見る側、見られる側、相互が変態と認識するからこそ変態なのだ。

 

変態とのボーダーライン(3)

変態との境界域3
渋谷ハチ公前でブリーフ姿を見てもらおうと意気込んで行ったところ、他にも似たようなのが10人くらいいたらどうだろうか。周りも何かの撮影かイベントかと思って違和感を感じないだろうし、来た側も今日は止めておこうと思うだろう。変態というのは孤高の存在であり、だから変態同好会は変態の様子がかなり薄まった存在である。皆変態では意味がない。で、ハッテン場ではどうだろうか。アンダーウェアデーだったら皆それを履いてウロウロしている。ハッテン場ではこんなことは当たり前で変態とはならない。アンダーウェアデーで、スケスケのセクシー下着をつけていたらどうだろうか。やっぱり変態なんじゃないだろうか。では、セクシー下着OKの日にセクシー下着だったら?もちろん大体の人はアンダーウェアを選択するので目立つだろうが、許可はされているのだから変態とは言い切れない。この辺がボーダーなのではないか。

 

変態とのボーダーライン(4)

変態との境界域4
皆が同じことをしていたら変態ではないというのは、普段身に着けているもののことを言うのであって、普段身に着けないスケスケ下着やケツ割れ、目出し帽とかを身に着けていれば皆変態になる。自分自身も変態だと思っているし、周りを見ても変態ばっかりだということだ。これは、普段だったらつけないけれども、皆がつけるからつけてみようといった、赤信号みんなで渡れば怖くない的な集団真理だ。ただ、最初に戻るが、全員が変態ということがありうるだろうか?全員異常ということが。全員異常だったらそれは正常だ。多数派が異常ということはない。なので、変態と思っているだけで変態ではない。疑似変態、変態行為をしていると思い込んでいるだけで、変態でも何でもない。スケスケ下着の日にトランクス履いてきたら、そっちが奇異な目で見られる。全裸の日に服を着る勇気があるだろうか?変態というのはそういうことだ。なので、スケスケ下着デーでスケスケ下着をつけることは変態ではない。スケスケ下着デーに行く行為が変態だけれども。

 

変態とのボーダーライン(5)

変態との境界域5
ということは、変態が映える日というのはいつか。まず考えられるのはフリースタイルデーだ。こういう日は皆怖じ気づいて、大抵はアンダーウェアでお茶を濁す輩が多い。だったら手隠しだけでも変態になれる。ただ、この日が皆思い思いの格好をする。いろいろな格好をされてしまうと、バラエティ溢れた変態が登場し、ばらけて印象が薄れてしまう。とすれば、アンダーウェアor手隠しデーといった二者択一の日で、その日のマイノリティーになるといい。しかし、それでもマイノリティーは複数いるだろう。なので、タイトル通り、ボーダーラインを責めるしかない。アンダーウェアデーが一番エロい。指定されたスケスケ下着やケツ割れ、目出し帽を被ったり履いたりするのではなく、自分自身が選ぶアンダーウェアに変態は勝負を賭けるべきだろう。どんなアンダーウェアが一番変態なんだろうか。モッコリを強調するか、半ケツを見せるか、ギャランドゥを惜しげもなく晒すか、・・。変態たちよ、アンダーウェアデーでギリギリを攻め合おう。か、思い切ってケツ割れを履いて、放置プレイというのも乙なものだ。

 

ハッテン場のヒエラルヒー(1)

ヒエラルヒー01
いいさそれでも生きてさえいれば
いつか幸せに巡り合える
-杉良太郎「すきま風」(1976.10.1)より抜粋
ハッテン場、ゲイの社交場という表現もあるが、適切ではない。教育格差、住宅格差、職業格差、世間はいろいろな格差で充満した格差社会であるが、ハッテン場も例にもれず、機会平等ではない、格差社会である。このブログを読んでいる皆さんであれば分かると思うけれど、ハッテン場というのは人を傷つけ傷つけられる、戦場だ。ハッテン場で何人ヤッたとか武勇伝を語る人、またハッテン場なんてタイプがいないから行く意味がないと語る人、それぞれが人を傷つけ、傷つけられている。ただ、自分を美化したいから、また傷を隠したいから、様々な理由で書かないだけのことだ。そして、スタッフからも知らず知らずのうちに傷つけられる。入店制限やコンセプトがそれだ。自分は傷つきたくないと思うなら、ハッテン場なんてそもそも行かない方が身のためだ。ゲイビでも見てシコってたらいい。

 

ハッテン場のヒエラルヒー(2)

ヒエラルヒー02
好きな男の腕の中でも 違う男の夢を見る
-ジュディ・オング「魅せられて」(1979.2.25)より抜粋
自分はモテるかモテないか、誰しも考えたことがあると思う。ハッテン場に行けばそんなことはすぐ分かる。ハッテン場はモテない奴が行くんだという意見もある。モテる奴は恋人やセフレを囲うからハッテン場に行く必要がないからだと。まあ、言うまでもないが、ハッテン場というのはモテるから行く。モテなければ行かない。モテないなら金の無駄遣いだ。逆に、モテる人は各種割引が使えて、自分の好きな時間にいろんな人ととっかえひっかえヤレて、かなりお得だ。モテる人は途切れることなくモテ続け、モテない人はこれでもかってくらいモテない。で、モテる人というのは数少ない。大半はモテない人で、そういう人は傷ついて帰るか、傷を負った者同士で傷をお互い舐めあうかしかない。ハッテン場というのは、恩恵を得られるのはごく一部だけ、大半のゲイにとっては現実を突きつけられる残酷な場でもある。

 

ハッテン場のヒエラルヒー(3)

ヒエラルヒー03
堕ちていけ、堕ちていけ
残酷ほど素敵なものはない
堕ちていけ、堕ちていけ
-斉藤レイ「ツエツエ」(2001)より抜粋
ハッテン場で霊を見るなんて話も聞く。ま、当たり前だ。ハッテン場には嫉妬、怨恨、憎悪が怨念怨嗟となって顕在化する。ゲイの人生の辛さ、はかなさ、切なさ、そうしたものを瞬時に思い知らされる。イケメンでガタイのいい奴がモテる、しかし、イケメンでガタイのいい奴が複数いれば、それだけ競争が起きて格差が生まれ、下へ下へと追いやられていく。そして、自分の居場所を失い、自分に合ったハッテン場を探しに行くことになる。ランクダウンしたところが安住の地だったらそれでいいし、そこまで落ちぶれていないと思うなら、恥辱や侮辱を承知で舞い戻る。時には奇跡が起こるかもしれないという一抹の光明を求めて。ハッテン場というのは福祉事業ではない。持たざる者食うべからずの世界、それでいて自分のカラダ以外何も持たない、裸での勝負だ。下に行けば下に行くほど、悲惨であり、生きていくのに必死な世界が広がる。ハッテン場におけるヒエラルヒーとはそれほど厳然と峻別されているものだ。

 

ハッテン場の「男」像(1)

男らしさ01
昔、ダウンタウンの番組美川憲一がゲストで出たとき、浜田美川に「勃つことってあるんですか?」という、今のテレビでは考えられない質問をしたときの美川の「勃つときは勃つのよ!!!」といってキレ気味にフェードアウトしていったとき、ま、浜田ではなくとも思ったはずだ。「何に?」と。時代は変わり、テレビは女装で溢れるようになったが、ハッテン場では女装を見ることはない。むしろ、女装は遠ざけられている。これだけLGBTがどうこう言われているけれど、ハッテン場というのは、このブログを読んでいただいて察しが付いていると思うが、内在的差別を包含している。今回は、ハッテン場で掲げている「コンセプト」なるものを通して、ハッテン場のいう「男」とは何なのかを考えてみたい。

 

ハッテン場の「男」像(2)

男らしさ02
では、ハッテン場で求められる「男」とはいったいなんだろうか。タマがあれば男かというと、そんなことはない。まあ、タマがないと話にならないし、一方は勃たなければ使い物にならない。で、女装、化粧、タマありニューハーフも男ではない。ここで、一つ。女装はいいのでは?という気もする。だって、脱ぐじゃん?けれど、見た目が「男」でなければはねられる。ま、ハッテン場でそもそも見たことないけれど。豊胸手術だと脱がないから分からないじゃん?となるけれど、それはそのとおりで、「おっぱい」のあるゲイは入ることはできる。なので、ノンケ狙いならまあいいけれど、ゲイ狙いだったらノンケよりもハードルが高いかもしれない。ま、化粧といっても日焼け止めとか化粧水程度なら構わないのだろう。少なくとも、内実はともかく、外観が「男」でなければならない。

 

ハッテン場の「男」像(3)

男らしさ03
「男らしい」とは何であろうか。義理堅くて人情深い、潔くて猛々しい、男も惚れてしまうような、まさに男の中の男、ではない。任侠でもヒーローでもない。ハッテン場の「男らしい」は性格や気質などは何の関係もない。ニヒルでも優柔不断でも豪放磊落でも、詐欺師でも料理が得意でも趣味が人形集めでもなんでもいい。男の中の男、というのではない。ヒーローとか情に厚いとか、芯がしっかりしているとか、そうしたことは求められていない。ただ、仕草がナヨナヨしている、オネエ言葉を使う、中性的な顔立ちをしているあたりは「男らしい」とは言えないだろう。昨今はジェンダーフリーが叫ばれ、女人禁制は理由が問われる時代だけれども、ハッテン場では外見が「男」しか入ることができない。ハッテン場に入れないものは「男」ではない。はっきり言うと、性別が男であっても「男」として認められない。そして、男を見て欲情しなければ「男」ではない。理性より本能、ヒトより獣、発情のスイッチが入っていることが男の条件である。

 

ハッテン場の「男」像(4)

男らしさ04
女受けする、女にモテるのが男でもない。例えば、女にもてる男の条件として、優しい、清潔感がある、おしゃれ、イケメン、・・そんなものは求められていない。ハッテン場受けする男とは、少なくともハッテン場サイドが求めている男とは、ガツガツした積極性を持ち、性欲強めでタフでマッチョな、男性ホルモンむき出しで誰でもいさかいなく襲う、男臭のする漢、雄だ。男らしいのではない、発情した雄が求められている。雌は?雌もいる。ガツガツした積極性を持ち、性欲強めでタフでマッチョな、男性ホルモンむき出しで誰にでも関係なく抱かれる男臭のする漢、雌がね。なので、男にかわいらしさ、美しさは求められていない。求められているのは野郎であり、セクシーである。優しさより激しさ、香水より汗、脱毛より髭、透き通るような白い肌よりばっちり日焼けした浅黒い肌、細マッチョよりゴリゴリマッチョ、知性より野性、私服よりスーツ、制服、しょうゆやソース、塩よりイモゴリラ。ま、ハッテン場というのは腐女子がいうところのボーイズラブとはかけ離れていることがお分かりだろうか。

 

ハッテン場の「男」像(5)

男らしさ05
タチが男役、ウケが女役というのは間違っている、なんてことがLGBT入門書あたりに書かれている。タチがリードする方、ウケがリードされる方なんて紹介されるが、そんなにすっきり分けられるものだろうか。このあたりがゲイの凝り固まった「男」像に隠されているのだと思う。ゲイは、男が好きなので、自分も男でありつつも、より男っぽい男に憧れる、男が男を好きになるというのはそうした男っぽい男、男の中でもより男っぽい男を求める傾向にあるのではないか。ウケは女役、別に間違っていない。相対的に見たら女「役」だろう。ただ、女っぽい、中性的はモテないからハッテン場からは排除される。元々「男」が男らしさを求める、ということは極端な男、になっていくことは想像に難くない。これがハッテン場の男像になっていく。

 

ハッテン場のヒエラルヒー(4)

ヒエラルヒー04
お前が立たなきゃ始まらない
ああ気合い入れて這い上がれ
己の力で立ち上がれ
-ケツメイシ「上がる」より抜粋
ハッテン場というのは若いというだけでヤレる。それこそコンセプトのないサウナで「若い子なんか来たら大変だよ。たかられる。サウナ出て行くときはフラフラになっているよ。」(平田,p143)というくらいだ。では、年齢と共に落ちる一方なのかといえば、それはまた違う。落ちる速度は人それぞれ。30過ぎてオッサン化している人もいれば、50手前なのに若々しい人だっている。これは努力の賜物であって、怠け者はただ落ちていくだけだ。もちろん、落ちていく力に抗うことはできない。せいぜい遅らせるだけだ。一緒に性欲も減退しているのであればなんら問題はない。勃たないのであれば、何も問題はない。もし抗うのであれば、年齢制限という壁は越えられないが、かろうじてハッテン場で楽しむことはできる。ただ自然の道理として落ちていくに身を任せるのか、それともできるだけ抗って、ハッテン場にしがみつくか。これは自分次第だけれど、努力しなければモテない。じゃなければ、金を払って買うかだ。

 

ハッテン場の「男」は虚像(1)

男らしさ06
20年前、フェミ男なるものが流行った。カラダのラインに沿ったピチピチの服を着る、中性的な男。その前はキムタクに代表されるサーファーのような小麦色の肌にロン毛、もっと前でもシブがき隊だって、西城秀樹だってジュリーだって、なんていう髪型か知らないが髪を伸ばしていた。今は韓流スターのような白くて髭剃りとは無縁のツルツルの肌・・りゅうちぇるやMattのようなジェンダーレス男子、正直、男の流行は、相当前から色黒髭のゴリゴリマッチョから離れている。ジェンダーレス男子、この響きにゲイに近いものを感じている人も多くいるのだろうが、ハッテン場で求められているのはそんな男ではない。では、中性的なゲイはいないのかといえばそんなこともない。ハッテン場では排除されるというだけのことだ。とすると、こう言えるのではないか。ハッテン場でモテる男というのは、世間的に見れば実は流行遅れでイケてはなく、西部劇とか戦後直後の映画にでも出てきそうな生きる化石のような男であって、少なくとも現代の女性からモテるはずはない、と。はっきり言って、ハッテン場の男は典型的なゲイ像、いや、ホモのイメージ、保毛尾田保毛男のようなイカホモから時計の針が動いていない。ハッテン場は時代の流れから取り残された異次元空間である。

 

ハッテン場の「男」は虚像(2)

男らしさ07
保毛尾田保毛男は石橋貴明が「みなさんのおかげでした」で演じた一キャラクターで、この番組の最終回(2018年3月22日)で出てきてとんねるずの世間ズレを改めて世の中に曝け出したのだが、保毛尾田保毛男、よくできている。イカホモ系としての保毛尾田保毛男という観点で捉えると、まずガタイがしっかりしていて、ヒゲもあるし、無垢で無知で、どちらかというと若干知能も低い印象を受ける。ゲイにとって都合のいい男、後腐れなくヤリ捨てできる男像として、ハッテン場での回され役として最適だ。ゲイ向けのラブドール(いわゆるダッチワイフ)、昔は田舎から出てきたバカそうなガッチリ青年だったり、空手一筋で他のことは何も知りませんと言ったような、何も知らないのでいろいろ教えてくださいといった雰囲気が滲み出ているものばかりだった。保毛尾田保毛男とラブドール、ハッテン場に求められる男だ。都合のいい男、性のはけ口、グダグダ言わず従順で、言われたことを素直に実行する男、ヤリ捨てされても文句ひとつ言わないし、恋愛とか面倒くさいことを口にしない男、それが求められている。それを具現化したものが保毛尾田保毛男であって、ラブドールである。

 

ハッテン場の「男」は虚像(3)

男らしさ08
ゲイ一般の「男」像とハッテン場の「男」像がズレていることが、ここまでくるとうすうす感づいてきたのではないか。ハッテン場が求めているのはということであって、ゲイ一般ではそんなことはない。そもそも、ハッテン場の「男」像が偏っているというのは、一つ抜け落ちているからだ。ハッテン場の「男」には少年愛という視点が欠けている。「美男子」「美形」「美少年」「美青年」、ゲイだって好きなのだが、ハッテン場には美男子という視点はない。世界史でゲイが初登場するのはギリシアではないか。古代ギリシアには、古典的ゲイの三要素がある。美・筋肉・軍だ。古代のゲイは、軍という男しかいない環境の中で、男の美しさに惚れて、逞しい筋肉に惚れて、秩序だった序列によって男を教え込まれた。もちろん、「周囲に女がいないので、女性器の代用として肛門を使う。」(鈴木智彦「激ヤバ地帯潜入記」p54)ことで、男しかいない極限状態の中で無理矢理教え込まれたという例も多いだろう。これはゲイではない、環境がそうさせただけだとか、タチはともかくウケは半強制的だったという主張もある。しかし、だからゲイではないとはならないだろう。ゲイというのは覚醒させられることだってある。しかし、あえて隠しているという感じがする。

 

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いち

Author:いち
俺はゲイです。いくつかブログを書いていますが、このブログではハッテン場に特化して書いています。思ったこと、経験したこと、またハッテン場の分析や傾向と対策、経営戦略についていろいろ書いていきます。テーマがテーマなので、内容もそれなりにコアな感じになりますが、それでもよければ見てください。ハッテン場に興味を持っているゲイを対象にしていますので、それ以外の方はご遠慮ください。初めて来た方は、カテゴリを選んで読んでいただくことをお薦めします。

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